20121231

Howards End (1992)





1992年の作品、「ハワーズ・エンド」。
原作はイギリスの小説家E.M.フォースターが1910年に出版した同タイトルの小説です。
またエマ・トンプソンとアンソニー・ホプキンズなわけですが。どうしてこのキャスティング~。


実の実は、2013年初映画はこれでした。
ちょっと年明け早々にしては、もやっとするチョイスだったかも…。







最初は面白かった。ヘレンが失恋っぽいものをして、なんかダメンズ好きそう~な感じで。そしたらなんかヘレンおっちょこちょいなんだから!(ぺろ)人の傘持ってきちゃうしー。バストさんかわいそうでしょ☆みたいな。マーガレットは貴婦人とお友達になってー。ちょっとマニッシュな格好で時代の最先端な思想持って―みたいな。


で、どこからだろう。すごーくドロドロした展開になってきたのは。


この登場人物たちを見てみると、ウィルコックス家は上流(それでも貴族ではなくて、資本家として成功した系の)、シュレーゲル家は中流階級、そしてバストは労働者階級。イギリスの階級っていうのは大部分が決まっていて流動することはない。結婚とかを除いて、基本的には変わらない。その結婚も身分相応の者とするのが普通ではあるけども…。

マーガレットはウィルコックスの妻になった。ヘレンも結果的には上中流階級ということになる。彼女らにはバストのような人たちの生活がわかっていない。偽善的な部分が見え隠れしている。けれど、悪く思えないのはマーガレットが純粋だからなんだよね。個人的にこういうタイプは苦手ではあるけれど笑。


でも、最後まで闘ったヘレンは偉い。といいたい所だけれど、結局バストは死んでしまう。なんだかギャッツビーの社会的地位が逆バージョンみたいな感覚。バストが生きている間は、彼の事を想ったりなんだかんだするけど、死んだからといって何かが残るわけではない。バストという労働者階級の男性が一人死んだからといって、彼女たちの生活に何か変化が訪れたわけでもない。ただ、ハワーズ・エンドは得ることができたけども。そこがこの映画のもやもや感を生み出してるのかな。労働者階級には希望もない。中流や上流の踏み台にさせられるだけで、自分の人生をろくに生きることもできない。


なんだかどの展開も中途半端な感じはした。けれど、全部最後のバストの死によってその感覚は消えて行ってしまう。それだけ、彼の死のインパクトは観客には強いけれど、お話の中の人たちにとってはそうでもないんだろうね。

あとはマーガレットが普通の女性になってしまったことからも、なんだかこの物語に希望が見いだせなかった。とても爽やかなエンディングになってるけど、ちょっとしんみりとしてて暗め。


これも読むリストに入れなければ。
バストのアパートの家、本当に寝れるの?っていうくらい電車の音と光、睡眠妨害とかいうレベルじゃないよ!都市に住む労働者たちの環境はやっぱり考慮されてなくて辛いものだったんだろうなーと思った。

んーでもやっぱりエマ・トンプソンとアンソニー・ホプキンズに鳥肌が。





★★★☆☆
Dir. by James Ivory (ジェームズ・アイヴォリー)
Screenplay by Ruth Prawer Jhabvala
Music by Richard Robbins
Cinematography by Tony Pierce-Roberts

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